Sofa Stories Sofa Stories

ソファストーリーズ

ソファはいつも暮らしのまんなかにある。

一人もの思いに耽る時
親密な二人の空間
わっと花の咲く家族の賑わい

ぜんぶ抱きとめるソファは、あつく、寛大で、やさしい。

四季折々、日々折々
名前のつかない一つひとつの日常の
暮らしの些細を覚えている。

陽のにおいも、夜の静けさも、
すいもあまいも染み込んで、
ただ、いつもでもそこに。

それぞれのソファに織りなす物語。

母と娘の居るところ。時々、父。

娘はいずれ巣立っていく。そうしたら私たちはまた夫婦二人きりになる。ならば、早いところ目が行き渡り手入れのしやすいところで小綺麗に暮らしはじめよう。そう考えて我が家は戸建てからマンションへの住み替えをすることにした。

準備期間は半年ほど。数え切れない日々を暮らし、すいも甘いも、それから辛いも苦いもなんでもあった。床や壁などを整理整頓しながらぼーっと眺めていると、それら暮らしの機微が見分けもつかないほどに混ざりあっているような気持ちになった。「何周も回って(ほとんど)すべて愛着」と呼びたくなるような思いがしてくる。

テキパキしている娘から何度か「手が止まってるよ」と言われ、そうだ、これから新生活なのだ、と思い直し着々と進めていった。

そんなふうに、長年家を離れるのは寂しかったが、年月を重ねた人間の神経は太くたくましいものだなあとも実感して苦笑する。新居のことを考えるのは、寂しさ以上に楽しみがあった。

どんな空間にしようか。なにをどこに置こうか。思い切ってあれを捨てたのだから、その代わりになにを迎え入れようか。それから、リビングにはいったいどんなソファにしようか。

気づけば家とともに長く連れ添った茶色の革のソファも、すっかり古くなった姿になっていた。人間の体にいくつも皺が刻まれるように、あちらこちらに白い線。ソファも、これがタイミングだと思い切ってお別れを決めたものの一つ。一緒に越してしまえば、もう買い換える時期は来ない気もしていた。

・・・

入れ替わってやってきたのはNOYESのDecibel Standard 2人掛け片ひじ。座面を含めた大きさと圧迫感のない形はマンションの暮らしにパーフェクトだった。

背もたれがないところは3方向から座れるし、アームテーブルがついているのも魅力的。3人家族だが、3人掛け、あるいはカウチソファにしなかった理由は、単純にそれらを置くスペースがなかったからだ。が、それでも2人掛けはなんとなく心許なく、オットマンを追加することにした。

オットマンを横に並べれば3人掛けソファになるし、前に置けばカウチソファとしても使える。不足を補うワンピースをパズルのように組み合わせて使うことにしたのだが、これが大正解。

当初、色は同色の濃淡にしようと考えていたが、ショールームのスタッフさんが「お部屋の差し色にもなりますよ」とアドバイスをくれ、なるほどとあかるいグレーを選んだ。

いつかの二人暮らしに向けての引っ越し。そして、買い替えたソファ。・・・だったが、いまのところ使っているのはもっぱら私と娘だ。

日中の家事のあいまに疲れたら、オットマンで一休み。ソファに座ってしまうと立ち上がりたくなくなってしまうので、こんな時にも便利なのだとわかった。オットマンの魅力は買ってからじわじわと気づいていくことが多い。ありきたりだが、本当にかゆいところに手が届く感じ。おまけで買ったつもりが、我が家では裏の主役といった存在感を放っている。

娘も家にいれば自分の部屋よりもリビングにいることが多く、私と二人でソファに座って過ごす。娘が二十歳を越えてからは、私たちは姉妹のように仲が良い。時々洋服も兼用して、休日は一緒にカフェ巡りをしてスイーツをあれこれ試したりする。

外に出ればあちらこちらへと忙しなく動きまわるが、家ではほとんど定位置だ。21時と22時台のドラマはほとんどおさえているため、私たちはだいたい毎晩ソファに並んで座っている。

録画したテレビドラマを一気見するのも最近のブームだ。夕食を終え、片付けや明日の準備、それから風呂までを済ませ「あとは寝るだけ」の状態になってからの寛ぎ時間にハマっている。娘と並んでソファに座り、前にオットマンを置いて一緒に足を乗せる。少しばかり狭いが、足を伸ばせるので楽ちんなのだ。

仕事が忙しく、毎日遅めに帰宅する夫の食事を出すのに再生・停止を繰り返しながら見る日もある。夫は、私たちの時間に飛び入り参加はしない。そうじゃなくても普段から夫は自分の部屋で好きな野球をみたり仕事をしたりで、ソファどころかリビングにいることがあまりない。

私にとってのソファは「生活で一番過ごすところ」だが、夫にとってのソファは「妻と娘がいつもいる場所」といったところだろう。だいたい私たちのどちらか、あるいはどちらもが占領しているので「座らせてもらえないところ」だとも思っているかもしれない。

とはいえ憎からず思っているようで、時々、テレビドラマ鑑賞のおともに仕事帰りに私たちの大好きなスイーツを買ってきてくれる。今年の私の誕生日には、スイーツと、そして駅前のお花屋さんに閉店間際に駆け込んでつくってもらったという花束も渡してくれた。

この日も21時のテレビドラマを見ていた私。CMに切り替わった画面に、「これ」という言葉とともにすっとあかるい色が差し込んできた。黄色のかわいいガーベラに、オレンジ色の薔薇が入った花束だった(夫は、花束といえば薔薇だと思っている節があると思う)。

「ありがとう」と言い、CMのあいだに瓶に水を満たして花束を挿し入れる。そのあとはハラハラな展開を続けるテレビドラマに戻った。べったりではなく、たんたんと側に居続ける。私たち夫婦はそんな感じ。オットマンを横に並べて3人掛けにして3人で座ったことは、まだない。

遠からず娘は巣立っていく。そうしたら私たちはまた夫婦二人きりになる。このソファを、私と夫の二人ではどのように使っていくのだろうか。いまはリビングの差し色のオットマンのようだ。私と娘とは違った色合いの夫。

当たり前のようにリビングに馴染むとき、その頃には娘のいない二人きりの家だ。いつか二人で、ソファに並んで座ってスイーツを食べる日まで来たりするのだろうか。その時は、ドラマと野球、どちらを見ているのだろう。

正直あんまり想像できないが、「赤のレッドベルベッドケーキを二切れ」は最初に頭に浮かんだ。何年か前の結婚記念日に、仕事帰りに表参道のお店に一人飛び込んで買ってきてくれたことがあった。じっくり赤いベルベッドケーキは、帰りの満員電車のせいだろうか、少し崩れていたっけ。

その日が来たら(いつかはまだわからないけれど)、今度はまっさらしゃんとした切りたてのようなレッドベルベッドケーキを二切れ、一つずつ。

Illustration by fujirooll
Text by SAKO HIRANO (HEAPS)