Sofa Stories Sofa Stories

ソファストーリーズ

ソファはいつも暮らしのまんなかにある。

一人もの思いに耽る時
親密な二人の空間
わっと花の咲く家族の賑わい

ぜんぶ抱きとめるソファは、あつく、寛大で、やさしい。

四季折々、日々折々
名前のつかない一つひとつの日常の
暮らしの些細を覚えている。

陽のにおいも、夜の静けさも、
すいもあまいも染み込んで、
ただ、いつもでもそこに。

それぞれのソファに織りなす物語。

猫2匹との暮らしが呼び寄せた、
運命のソファ

フキちゃんと出会ったのはもう20年以上も前のことだ。たまたま道路で出会った。まるくかたまっていたところをひろいあげて、それからずっと一緒に暮らしている。私が夫に出会い、そして結婚して暮らしが変わってからも、ずっと。フキちゃんは我が家のお“猫さま”だ。
私が出会ったときにはすでに成猫だったのに、もう20年を越す時を過ごしているという事実に時々はっとする。だからか、フキちゃんにはなんとなーく仙人のような雰囲気を感じ取ることがある。夫曰く「鎌倉時代から生きていて、世の中を渡り歩いていると思う」らしい。爪切りの時は大人しく爪を差し出し、遠くを見ながらすんと静かに待っている。日常の2割くらいをデレっとしながら、あとはツンと気ままに生きている。人間の言葉を「よくわかっている」という顔をしていて、夫の言うことに「確かにそうかも」と思う節は私にもたびたびある。

フキちゃんと暮らしはじめてから10年後に出会ったのがツナだ。状態がわるくそのまま動物病院に連れていき「診察券にはなんとお書きしますか」と聞かれ、咄嗟に「8月27日.....27….ツ・ナ!」と語呂合わせで名づけた子だ。フキちゃんとは対照的で、日常の8割、いや9割がデレだ。家族をとにかくストーカーし、ソファにはいつも一緒に座ったり寝たりする。フキちゃんに対してもしつこくストーカーをするため、時々“マジの一発”をくらっている。爪切りもだめで、この世の終わりのように魂の限りで叫ぶのだ(唇が紫色になるほどなので、ペットサロンに連れて行くようにしている)。

私たち夫婦はこの2匹との暮らしがあったからこそ、ソファ購入にいたったと言っても過言ではない。もともと特にソファ欲のなかった私がじっくりとこだわってソファを探したのは「猫との暮らしでも大丈夫」であることを条件にしたからだ。「ペットと耐久性」を追求したからこそ、ソファを吟味することになった。サンプルの生地とお利口なフキちゃんの協力を得てできる限りの実験をした。フキちゃんの両手をやさしくもって爪をぴゅっとだして動かし、爪研ぎのまねごとで確かめたりもした。フキちゃんやツナがいなかったら、ここまでこだわらなかっただろう。この暮らしが呼び寄せたソファだと思っている。

私たち夫婦はかなり会話が多い方だと思うが、ソファを待つ1ヶ月間の晩酌の話題はもっぱら「お迎えするソファ」になった。毎晩飽きずにソファのこことここがいいだのなんだの話し、公式YouTubeチャンネルをみてはまたそのよさを確かめていく。代表の方が意外にふんわりした印象でそれについて盛り上がったり、お手入れ方法を念入りに予習したり。とにかく毎日の食卓が賑やかで楽しく、ふと夫が「こんなに毎日盛り上がるなら、もはやもうずっとソファが届かなくてもいいかもね」と口にした。それは絶対にいや、と返したけど、夫の気持ちはよくわかった。それくらい心がいつも小躍りしている1ヶ月だったのだ。

基本的には家に新しいものが届くと「不審者!」扱いで、および腰で匂いを嗅ぎまわるのが猫というもの。ソファご対面もさてどうなるかというところだったのだが、まったくの肩透かし。トトト....と歩み寄ってぴょんと飛び乗り寛ぎはじめた姿に驚く。香箱座りで目をしぱしぱ。庭を眺めてうっとり。猫という生き物は、つくづく生活の寛ぎを本能とセンスで感じ取っているのだと、感心してしまった。

それからは私たちと一緒にソファで寛ぐ日々だ。実は私は、猫だけ2匹きりでいるソファにこそ、幸せの絵を見つけている。お尻をくっつけあって眠り、人間が居た“跡”にしっかりと身をおさめて寛いでいる…。一番心に残っているのは、今年のお正月のことだ。バタバタと忙しなく準備をしているとき、ふと目をやるとなぜだかソファの左と右にまるで狛犬のように鎮座していた。

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夏の名残もいよいよ薄れ、大好物のゴーヤチャンプル(我が家はいつでも山盛りに作る)での晩酌も「今夏はこれが最後かもねえ」を繰り返しているいま、しゃっきりと秋本番を迎えていくために、またあれをやってくれないかなあと心待ちにしている。

Illustration by fujirooll
Text by SAKO HIRANO (HEAPS)