Sofa Stories Sofa Stories

ソファストーリーズ

ソファはいつも暮らしのまんなかにある。

一人もの思いに耽る時
親密な二人の空間
わっと花の咲く家族の賑わい

ぜんぶ抱きとめるソファは、あつく、寛大で、やさしい。

四季折々、日々折々
名前のつかない一つひとつの日常の
暮らしの些細を覚えている。

陽のにおいも、夜の静けさも、
すいもあまいも染み込んで、
ただ、いつもでもそこに。

それぞれのソファに織りなす物語。

障子の柔らかなひかり、木のにおい。
2人で居たいソファ

障子がぼんやりと青みがかってきたので、早朝だとわかる。しんと少しだけ冷えた空気が気持ちよく、やっぱり冬より起きやすいな、と思う。

夏の朝の早起きは心地いいものなのだと知ることも、大人になったことのよさの1つだ。がんばらなくても朝にはすっきりと目覚めた幼少期や、いくらでも眠っていられた学生時代には、感じなかったこと。

初夏、庭の紫陽花が見頃だ。まだ新しい家の匂いがする居間で、妻よりひと足早い朝を迎える。

・・・

8歳年下の妻と結婚し、新居を建てようとなった際に「和風の家に」という話ですんなり進んだとき、ああ、こういうのもまた相性なのかな、と思った。2人ならばながい生活を楽しんでやっていける、そんなささやかに覚悟めいた気持ちも湧いた。

いずれ自分の家をもつなら、やっぱり和風の家がいい。ぼんやりとそう思っていたのは、育った家が和風だったからかもしれない。
妻も和風の家を推したのは、今般の新居を、彼女の祖父母が建て住んでいた家を取り壊して構えることになったいきさつも関係しているのだろう。

落ち着く家。おうち、って感じの家なんだよね。そんなふうに曖昧な言葉で、幼い頃から何度も訪ね泊まった祖父母の住処を讃えていた。

壁よりも木のほうが、毎日の暮らしが染み込んでいくような気がする。窓ガラスとカーテンだけじゃなく、“開ける”と“閉める”の間みたいに朝と昼間にはいつでも射し込む光があるほうが、生活が穏やかになるもしれない。そんな予感みたいなものを、2人してもっていた気がする。

広い和室と、長い縁側。その時に応じて障子や襖で仕切り、時には大らかに開け放した空間へと広げられるところが好きだ。家について真剣に考えはじめると、そういう明確な区切りのない曖昧なところこそが良さなのだと、腑に落ちていく感覚があった。

和の家は、曖昧さがあって、流れていくゆるさがある。

妻の祖父母の家はかなり年代の古い、台所が土間になっている古民家だった。そこには沢山の、静かに、厳かによいものがあった。せっかくだから何かを残したい————仏壇と神棚を新居に迎え、また古い道具をリビングの押し入れの扉などにリメイクするなどして残すことにした。受け継いで息づかせていくこともまた、家をもつことなのだと実感した。

そんなふうにできあがった家に迎えるソファを、どうしようか。座り心地はもちろんだけど、この暮らしのリズムというか雰囲気というか、そういった言葉にならないものにしっくりとくるものがいい。総じて奇をてらわず、流行り廃りなく時間がたってもずっとよいもの。良いというより、善い、というような。
いずれ子どもができたらカバーはしっかり洗えて、手入れしやすく、ながいながい生活にちゃんとあってくれるもの。見つけるのは難しいかなと思いきや、意外とあっさり出会うことができたのが、NOYESのソファだった。

家のところどころに「1人で過ごせる場所」もつくった。恋人時代から新居ができるまではリビングと寝室を兼用した部屋で暮らしていたために、それぞれの空間をもてることが嬉しく、結構それぞれで過ごしている。

2人でいるのは、ソファにいるときだ。恋人時代から変わらない。どちらもあまり酒は飲まないので、コーヒーや紅茶を飲みながら、なにを話すでも聞くでもなくとも、ただ一緒にいる。

障子からもれる光が暖色に変わる頃、妻が起きてくる音がする。そっと障子をあけて、外が見えるようにしておいた。おはようの次にきっと、紫陽花きれいだね、と言う(実は昨日もこのやり取りをした)。

Sofa Stories

毎日、毎日、同じような気持ちになれること。誰かとともに一つの場所で生きていく相性とはそういうものなのかもしれない、と思う。その尊さがこの家にゆっくりと染みこんでいったらいい。

Illustration by fujirooll
Text by SAKO HIRANO (HEAPS)