Sofa Stories Sofa Stories

ソファストーリーズ

ソファはいつも暮らしのまんなかにある。

一人もの思いに耽る時
親密な二人の空間
わっと花の咲く家族の賑わい

ぜんぶ抱きとめるソファは、あつく、寛大で、やさしい。

四季折々、日々折々
名前のつかない一つひとつの日常の
暮らしの些細を覚えている。

陽のにおいも、夜の静けさも、
すいもあまいも染み込んで、
ただ、いつもでもそこに。

それぞれのソファに織りなす物語。

“魔の階段”をこえて見えた、かけがえの無い風景

「…あれ、もしかしてイマイチだった?」

ながらくソファを探していた私たち夫婦は、ネット上でいろいろ検索をし「これこれ!」と思えたソファの実物を見るために、ソファ専門店に来ていた。

「おれは結構いいなと思ったんだけど。座り心地なんて、想像以上だし」

「うん、私も、好き…」

浮かない顔とうらはらの言葉に、夫はキョトンとしている。私は必死に自分の気持ちを抑えていた。さっぱりとした性格の夫はきっとすっかり忘れているのだろう。どうしてもどうしても欲しかった大型家具を泣く泣く諦めたことを。

我が家は、東京都の二世帯住宅の二階住まい。空間自体は広々としていて、玄関の広さも申し分ないものの、家具を招き入れるには“魔の階段”があった。室内のくるっとしたまわり階段で、大きな家具はいつもつっかかってしまう。

数年前、一目惚れしてどうしても欲しかったダイニングテーブルを「えいやっ!押し込めば入る!」と購入してみたものの、魔の階段でつっかかってテコでも動かず、トリックアート展を思わせる不思議な格好で、ダイニングテーブルは中に浮くように見事に静止。呆然としつつ、諦めで「アハハ」とカラッと乾いた私の声が、階段に吸い込まれていった。

だから今回は、ぬか喜びしないようにしないと。ぬか喜びも「えいや」も、二度あってはならない。あってはならないというか、悲しくて耐えられそうにない。そう思い、私は「まずはさ、下見に来てもらわない?」と慎重な一手を打った。

さらにその前に、やっぱり家の図面を持ってもう一度ショールームへ足を運んだ。魔の階段を抜けて部屋に入れてさえしまえばこっちのもの、そう思っていたけれど「設置したときに、室内の通り抜けがしづらくなりそうなところがあります」とスタッフの人が言うではないか。

室内にも魔のポイントがあるとは。落胆が顔に出たのかもしれない。スタッフの方がすぐにソファのミニチュアを作って確認してくれた。その手作業を祈りながら見つめていると、パッと顔をあげて「大丈夫ですね!」という審判。ああ、よかった。よし、あとは魔の階段だけ。急いだところで結果は変わらないことはわかっているが、「善は急げ、よ」と自分でもよくわからないことを心の中で唱えながら、一番近い日に下見の日程を組んだ。

・・・

「吊り上げ搬入も階段あげも、難しいかもしれません」。玄関からまわり階段が通るか、それが難しければ吊り上げ搬入でいけるかどうかも細かく見てくれたうえで、そう返答があった。

ああ、やっぱり。ぬか喜びしなくてよかったじゃない、それだけでもよかった、そう思おう…。一刻も早く心をたたんでしまおうとしたその時、夫が一言。「あれ、もしかして、このソファ両方で考えていらっしゃいますか? どちらか一つだけ搬入してもらえればよいのですが」。

「ああ! それだったら、階段の手すりと照明を外したらいけるかもしれません!」と。私が「なんとしてでも気に入ったソファを一つ、我が家に招き入れたい」という思いから、2種類のソファの搬入下見を希望していた。第一希望、第二希望。どちらも入れるとなると、どちらかを先に運び入れるとどうがんばっても部屋に入りきらない、と判断していたらしい。ぬか喜びへの慎重な緩衝材が誤解を呼んでいたようだが、なんと。

「こちらのソファならば、入ります! 大丈夫です」。それも、第一希望のDecibelStandard 3人掛けカウチソファセットだ。第一希望のソファの方が大きいため、諦め半分で第二希望を用意していたが、分解したときのサイズが第一希望の方が小さく、入れることができるという。

よ、よかった…。もう絶対にこのソファを買う。このブランド、NOYESに決める。

下見での即決には、ソファそのものももちろんだが、それよりもさらにスタッフさんとのやり取りが決め手となった。図面を持っていけばその場でミニチュアサイズのソファを作って話に掛け合ってくれたこと、下見で私が何度も繰り返す同じような質問にも、丁寧に答えてくれた。長く使えるソファだけでなく、私たちは「長くお付き合いできるソファ屋さん」を探していたのだ。

前のソファを使っていたとき「ソファはいいものを!」と奮発して本革のものを購入したものの、経年でへたっていくのを見ながらも「そもそもソファを簡単には外に出せない」ことに直面し、メンテナンスのハードルの高さに苦い思いをしたのだった。だから、ソファそのものだけでなく「ソファを買うところ」もしっかりと考えないと、と夫と話していた。

数日後に、我が家に迎え入れる日取りが決まった。

指示の通りに手すりを外し、照明も外し、そしてとにかく願掛けのように階段まわりを入念に掃除して、その日を迎えた。

自分たちが運べるわけでもないのに、当日は朝からドキドキ。ハラハラ。4人の作業員さんたちが到着し、搬入がはじまれば、まわり階段のうえから「がんばれ!がんばれ!」「(回れ!回れ!)」と、声にも心の中にもいろんなエールを飛ばしていた。作業員さんたちはお互いに細かく声掛けをし合い、時間をかけてなんともマニュアルな手捌きで搬入を終えてくれた。

数時間後、組み立てられて形になって、私たちのリビングにソファがいる。ちゃんとそこにいる。その姿を認めたら実感が湧いてきて、そうしたらなんにもしていないはずなのにどっと疲れもやってきて、来たばかりのソファに受け止めてもらった。

どれほど大きいかと思ったが、背もたれ部分が前のソファより低くなり、リビングがいくぶんも明るい印象になったのが思いがけない嬉しさだった。「家に本当に来るまでは、あんまり喜ばないようにしようってしてたから、余計に嬉しいんでしょう」と夫。なんだ、気づいていたの。

前のソファより大きくなったぶん、家族があつまってもぎゅうぎゅうにならないのがよかった。大学3年生になる娘は、ほとんどオンラインの授業で家にいる時間も増えている。「休憩時間」があればソファに寄ってくるのだから、この広々とした感じがうれしい。「ソファの取り合い、なくなりそうだねー」とにんまりの娘。新しいものにはなにかと爪でガリガリしたがる飼い犬のバンクーも、私の“圧”を感じ取ったのか、少しもしなかった。

ソファそのものも気に入ったが、私がなによりも好きなのは「家族がソファに集まっている」その状況だ。数年前、大病で闘病生活を送っている頃、キッチンで洗い物をしている時にふと振り向くと、本革のソファに夫と娘がバンクーを挟んで笑いながら喋っているのが見えた。

「ああ、私はこの風景が好きなんだなあ、当たり前だけど実はものすごく貴重なこの風景を見るために、治療がんばらなくちゃ」と強く思ったのだ。いつもはそれぞれが外に出て、それぞれの日々があって、家の中でも好き勝手していても、ソファがあれば集まってくる。

いまでは大きく広々としたソファで、私は洗濯物をし、バンクーは背もたれに立って外を眺め、娘はパソコンをしていたり、夫は寝転がってテレビを見ていたり。

家族がそこに集まっている。家族がともにあるということを、ソファは少しだけよく見えるようにしてくれる。忘れないように、もしも時々忘れてしまったら、思い出せるように。

Illustration by fujirooll
Text by SAKO HIRANO (HEAPS)