Sofa Stories Sofa Stories

ソファストーリーズ

ソファはいつも暮らしのまんなかにある。

一人もの思いに耽る時
親密な二人の空間
わっと花の咲く家族の賑わい

ぜんぶ抱きとめるソファは、あつく、寛大で、やさしい。

四季折々、日々折々
名前のつかない一つひとつの日常の
暮らしの些細を覚えている。

陽のにおいも、夜の静けさも、
すいもあまいも染み込んで、
ただ、いつもでもそこに。

それぞれのソファに織りなす物語。

ソファから見える、家族の光

「ここにソファを置いて、こっちに本棚を。お気に入りの本だけ詰める小さいものと、それからとにかく入れられる大きな本棚…」

購入するソファは5年前から決めていた。いつかソファをと漠然と考えているとき、たまたまネットで心惹かれるものを見かけてから、その会社のホームページをお気に入りに登録して気が向いたときに眺めていた。出かけたついでに家具屋に足を向けたりもするなかで、どうしてかネットで時折見にいくその藍色のソファが、私には特別にみえた。

こんなソファがあったら、私は家でどんな生活をするだろうか———。

60歳での退職がいよいよ1年先に差し迫ったとき、具体的な生活様式に考えを巡らせはじめて、まず手にしたいと思ったのは、そのソファだった。

ゆっくりと好きなだけ本を読んで、時々、ウイスキーのグラスを傾ける。顔をあげて、目の前に広がる光景をぼんやりと眺めて、また本に戻る。そう想像をしてみると、やはりソファが最初に思い浮かんだのだった。「リビングのあいている空間にソファを置きたい」と家族に話すと、快く理解してくれた。

念願だったソファが届いたのは退職の半年ほど前だったろうか。我が家には初めてのソファだった。配置を確定して片付けを本格化していく。リビングの一角に少しずつできていく、新しい居場所。ふと「終(つい)の棲家」という言葉が、頭なのか心なのかどちらかに挿し込んできた。“毎日”というたんたんと過ぎていくものを、どれだけ逃さずに重ねていけるだろうか。

・・・

38年間、とにかく慌ただしく過ごした現役時代だった。

公立中学校で教師として過ごし、最後の8年間は校長として学校経営を担った。とにかく「学校にいた」日々だった。朝6時半には出勤し、夜は20時頃まで勤務して帰宅する。家に帰って食事をして、風呂に入り、寝て、また朝になれば学校に出かけていく。土日も部活や会合で学校に出向く。目に映るのは、教壇から見渡す光景、ほとんどの教室から見える校庭。

10代の活気の証、絶え間ない喜怒哀楽。割れるような感情に、熱を帯びた成長期の声が飛び交う春、夏、秋、冬。季節ごとに行事があり、慌ただしくも規則正しく過ぎていった年月に、教師として見つめてきたものは数え切れない。

と同時に、この小さな我が家で見逃したことはどれくらいあっただろうかと、進めていく片付けのなかで思う。家族とリビングでともに過ごすというには、程遠い日々だった。

・・・

本棚に本を一冊ずつおさめる時間、これからの生活を下絵を書くように具体的に想像していく。退職をするとはいっても、次の新しい仕事は決めていた。これまでのような働きかたはせずに、短い時間に少しだけ、必要とされる場所でできることをやる。帰り道にはその日のことを振り返り、夜ご飯や眠るまえに読む本のことを考える時間がある。家族に話したいことがいくつかある。

任せきりだった料理にも挑戦してみたい。本屋にいけば、これまで目の端にも引っ掛からなかったものにも手が伸びる。出汁(だし)にも数種類あること、サラダの野菜にも実は下処理がされていることを知った。慌ただしく飲んでいた朝の味噌汁の具を、毎日ちゃんと確認したいと思った。

二人の娘と、息子と、とりとめのない話をしたい。八十八ヶ所をめぐるお遍路もしてみたい。平日の映画館にも足を運んで、好きな席に座って一人でみたり、妻と行って帰りにカフェに感想も言い合ってみたい。そんなふうに、やりたいことはいくらでもでてきた。

そのなかでも思いを巡らせてなにより心躍るのは、毎日、家にいられることそのものだった。ソファに座ってテレビをみて読書をし、飽きたらリビングに敷いている4畳の琉球畳に寝そべる。またソファに戻る。顔をあげると、きっといそいそとなにかしている妻がいる。小腹をすかせた子どもたちの誰かが、夕食前になにかをつまんでいる。ふと顔をあげれば、家族がそこにいる。

ソファの色を決めたとき、最初から目に留まった藍色にした。妻が好きな色だ。

不在の38年間を越えて、いま私は誰よりもリビングにいる。家にある日々を見つめる、藍色の特等席。もう一つ、私がずっと欲しかったものだと気づく。

ふと、昼間の気配を残した教室を思い出した。薄い黄色のカーテンから漏れる陽。春には終わりと始まりを何度も味わった。遠くから見守ってきた、若き数々のまばゆい光の粒たちを思い出す。

いま私の座る場所には、思い出す必要もないほどいつでも大きくて淡い光が届く。家族という光。家族がそこにいるという、やさしいまばゆさ。

私はいつもここにいて、いつでも家族が集まれる、いずれ家族の家族が集まれる、陽だまりのような場所にしたい。ソファの藍色に揺れる陽の光を見て、思う。

Illustration by fujirooll
Text by SAKO HIRANO (HEAPS)