Sofa Stories Sofa Stories

ソファストーリーズ

ソファはいつも暮らしのまんなかにある。

一人もの思いに耽る時
親密な二人の空間
わっと花の咲く家族の賑わい

ぜんぶ抱きとめるソファは、あつく、寛大で、やさしい。

四季折々、日々折々
名前のつかない一つひとつの日常の
暮らしの些細を覚えている。

陽のにおいも、夜の静けさも、
すいもあまいも染み込んで、
ただ、いつもでもそこに。

それぞれのソファに織りなす物語。

大人の“地元”で、ソファを買うということ

熱田神宮の宮きしめん。パスタに麺類いろいろ、それから喫茶店のコーヒー。生まれも育ちも愛知県の夫のもとにやってきて15年。すっかり、愛知県が好きだ。

「地元」というとき、たいていが幼い頃を過ごした場所を思い浮かべると思う。ならば、大人になってからさまざまな変化とともに紡いできた暮らしがある場所は、なんと呼んだらいいのだろうか。ふと、辞書を引いてみる。「地元——住んでいる場所のこと」。思いがけないシンプルさに笑ってしまった。

公園がいくつかあり、城もある(名古屋城)。ちょっと出向けば、新幹線がみられるのもありがたい。一歳10ヶ月になる息子は、最近とにかく車ものが好きだ。

「地元」は、我が家のソファ探しでも一番のキーワードとなった。新居のリビングづくりの主役を探すとき、夫がいろいろと調べてくれるなかで目に止まったのが「流行にNOを。普遍にYESを。」という、なんとも実直で骨太なソファ作りを日本国内で続けているブランドだった。暮らしのなかで長く使っていくものは、流行りよりもいつまでも愛せるものがいい。そう思っていた気持ちを言葉にされたようだった。そして、その骨太な国産ソファブランドは「地元にある」ときた。これが最後のひと押しになった。

正直どのソファもいいし、それぞれのこだわりがみえる。姿かたちだけではどうにも選びきれないなかで、つくっている姿勢を好きだと思えたこと、そして地元の企業だということ、この2つの「特別」で決めない手はなかった。

それに、ここで決めなければ永遠に終わらない買い物だったとも思う。だいぶ汚れも重なりくたびれていたので、そろそろ捨てどきとはわかっていたものの、前のソファを捨てて買い替えるのは、それなりに覚悟が要った。

安価ではあるが、長年持ちこたえながら私たち夫婦の暮らしにそのソファはあった。ソファというよりは、二人がけの座椅子のような“超”のつくローソファ。正直いわゆる良い家具ではないかもしれないが、思い出はたくさんある。私がつわりでしんどいときはそこにずっと居たし、なんなら陣痛のときにもここで唸っていた。

そんなふうに、“ちりつも”な思い出のあるローソファに代わって我が家にきてもらうのだから、どこか心がしっくりこないとダメだと思った。

普遍を思えること。変わらないものというのは、生活の手触りそのものだと思う。

地元、私がいま住んでいるところ。暮らしがあるところ。家族がいるところ。

私の、私たち家族の地元、愛知県からソファがやってくる。それは、外国から贈り物が届くことよりも、ロマンチックかもしれない。一人で思い耽ってしまうくらい、生活の地続きのところから新しいソファがやってくるというのが、運命であって、そうあるべきことだと思えたのだ。

・・・

ソファが届いた日、私と夫でああでもない、こうでもないと言いながらベストな配置を考えておさめると、子どもがそこでそのままお昼寝してしまった。
その日から、家族三人で互いを枕にしながらごろごろする時間ができた。ソファがなければ、ベッドをのぞいて家でごろんとする場所がないことに気づく。私の実家には和室があって、ただ寝転がってはぼーっと過ごしたりしていたっけ。

眠るわけじゃないけれど活動的でもなく、ただ寄りあって過ごす。そんなふうに、なんとも“まんなか”な感じの時間ができた。たいていは子どもが私を枕にし、私が夫を枕にするというポジション。時々、夫をまんなかに子どもと私が両脇から頭をのせる。

ソファはいま、もっぱら子どものお気に入りの遊び場でもある。トミカや働く車に夢中な息子は、ソファの背を線路や道路に見立てて遊んでいる。新幹線や電車が並ぶと、彼の目で切り取った“小さな地元”がそこにあるみたいだ。

すこしガタガタと並べられたおもちゃたちが、どうにも愛おしい。夫婦二人暮らしだった頃にはなかった小さな光景が、部屋にぽつりぽつりと落ちている。「これが見られるだけでも、ソファを買ってよかったよね」と飽きずに呟いている夫と私だ。

Illustration by fujirooll
Text by SAKO HIRANO (HEAPS)