Sofa Stories Sofa Stories

ソファストーリーズ

ソファはいつも暮らしのまんなかにある。

一人もの思いに耽る時
親密な二人の空間
わっと花の咲く家族の賑わい

ぜんぶ抱きとめるソファは、あつく、寛大で、やさしい。

四季折々、日々折々
名前のつかない一つひとつの日常の
暮らしの些細を覚えている。

陽のにおいも、夜の静けさも、
すいもあまいも染み込んで、
ただ、いつもでもそこに。

それぞれのソファに織りなす物語。

夫婦二人に戻るとき、はじまりのソファ

夫がロシアから帰ってきた。

6年間の単身赴任を終えて、我が家に戻ってきた。

「あれ。このソファ、こんな色してたっけ?」

栄養満点の茹でたて人参のオレンジから、味が染みた煮物の人参のオレンジになった姿に驚いたようだった。そりゃあ、あなたを見送ってから6年も経つんだもの。

思い返してみれば、夫の転勤でイリノイ州へと家族全員で引っ越し、4年間を過ごして日本へ戻ってからは、半分ほどが“怒涛のお見送り”の日々だった。まずは大阪に進学した長女を見送って、そのあとすぐに夫をロシアへ見送り、今度は姉を追うように関西の大学に進学した長男を見送った。

そのあいだ、我が家の暮らしは二人になって、最後は私一人になった。座る人も人数も変わりながらも、いつもそこにはオレンジ色があった。オレンジ色のソファは、夫の単身赴任先の米国イリノイ州に家族皆で引っ越し、その暮らしが終わるときに日本へ持ち帰ったものだった。

米国での暮らしは家族四人での4年間の旅だったように思う。

イリノイ州という、名前だけはなんとく聞いたことがあるもののテレビでも見たことのないような土地へ引っ越して、それぞれが新しさを迎える生活がはじまった。この頃が一番、4人で生活を共にしていたという実感も思い出も濃い。慣れない土地でそれぞれの日々に起こるあれやこれやを食卓で教え合い、週末には初めての場所へと皆で出かけていった。

日本での生活とは一転、仕事を潔く終えた夫が午後3、4時には帰ってきたことも大きかった。自宅の広い庭で、息子や息子の友だちとアメフトをして遊んでいたっけ。ちなみに、夫と私の出会いは大学のアメフト部だ。プレイヤーの夫と、マネジャーの私。

子どもたちの賑やかな声におされて、楕円のボールが太陽の下で不思議な軌道で飛び交うのを眺めながら、暮らしの変わりぶりを味わっていた。

その暮らしを終えて日本に戻って6年が経つ頃、私の見送りの日々がはじまったのだ。

もうこれからはずっと日本で暮らしていくだろうと思い切って建てた新居に家族4人がそろって暮らしたのは、たった2年。

娘を見送り、夫を見送ると、息子との二人暮らしがはじまった。四人分の食事を並べても狭くならないようにと買った直径130cmの円卓は、ドーナツのように真ん中がすこんと空いた。

オレンジ色の大きなソファには、息子がひとり悠々と横になってまだ誰かが居られる余白。

二人暮らしにもすっかり慣れた頃に、息子が関西の大学に行きたいと言い出して、とうとう一人暮らしがやってきた。

学生時代ぶりではないか。でも、あの頃とは全然違う。家のサイズも、ソファもそのほかの家具も物の量も、四人分。記憶も思い出の数も、四人分。そんななかでのひとり暮らしはさすがに寂しくもあった。アメフト部で染み付いたのかもともとそういう性分なのか、マネージャー気質で物事を滞りなく皆のあれこれをスムーズにすることが好きな私は、家の中を滞りなく管理するという張りがなくなって不満も募った。

パンデミックの時期もあり、体や心のどうしようもない不調を一人取り残されたような広い家で持てあまし、時々夫にぶつけてしまったこともあった。これはどうしたものかと思っていたら、やっと夫が戻ってくることが決まった。それが、今年のことだ。

夫との二人暮らしは、不在の時間を取り戻すように家に手を入れることからはじまった。庭木の剪定、伸び放題だった雑草むしり、障子の張り替えをして、2台分の洗車。そして、娘と息子の部屋の片付け。これからはじまる二人暮らしのための身支度のようなものだった。

最後に、夫が言った。

「ソファも、二人の生活用に新しいのを買わないか?」

我が家がすっきりと二人暮らしに向けて整っていくなかで、オレンジ色のソファはどんどん浮いていった。12年間使い続けて色も褪せ、なんだか全体的にしぼんだ気もする。夫が帰ってきた時よりも一層、時間の経過をあらわにした。いつでも元気をくれたオレンジ色と別れるのは後ろ髪が引かれたが、それがいいかもしれない、という気持ちは日ごとに募っていった。これからは、二人のためのソファが必要なのだ。

・・・

夫と二人でソファ探しをはじめた。子どもたちには、なんとなく相談しなかった。

家具店にあちこち二人で出かけて行き、気になったソファに片っ端から座った。

もう若くはない、というか、オレンジ色のソファと同じだけ時間の経過を宿した身体だ。週末カフェで立ち仕事をする私は、基本的に腰が痛い。夫はアメフトプレーヤー時代に繰り返した「タックル」によって、年々腰が痛む様だった。そんなように、以前は考慮しなかったことがいろいろと溢れてきて、“いまの私たちの目と体”でしっかりとお互いを思いやりながらソファ選びを続け、ようやく巡り会ったのがNOYESの「Vision CL」だった。ヴィジュアルに一目惚れしたそれは立ち座りがしやすく、背もたれも高くて全身を預けてリラックスできるところも素晴らしい。

予算は見事にオーバーしたが、これから二人で気持ちよく生活していくためだとすると、高い買い物ではない。そうだよね、と言い合って、これからずっと使っていけるよね、と二人で思った。

米国から持ち帰ったオレンジ色のソファに別れを告げ、数日すると新しいソファがやってきた。

「せーの!」で同時に座り、顔を見合わせてはにやにやしてしまう。

大型テレビの正面に配置してもらうと、なんだか車に乗り込んで窓が目の前に広がっているみたいだ。

乗り合い、寄り合い、一度一人になって、また二人。

家族の人生は、まるでロードトリップのようだ、と思う。生活を整理し、準備も整えていま私と夫はまた二人きり。家族が四人揃って暮らすことはきっともう二度とない。

寂しいけれど、オレンジ色のソファが色褪せるくらいにはしっかり寄り合った。

それに「ちょっと乗せてよ」と四人がともに居る日は、これからも数え切れないほどある。

終わりの実感は、はじまりの予感。

夕食後に、夫と二人ソファに並んでリラックスするのがいまの日課だ。ソファから立ち上がって背中で潰れたダウンのクッションをぱんぱんとたたいてかたちを直すのも、私の寝る前の日課。

ぎゅっと目を瞑ると、チカチカとした光の中にアメフトの楕円のボールが浮かんできた。まんまるの球型よりも軌道が不確かであっちこっちにいくそのボールを、颯爽と追いかけてつかまえるあの日の夫の姿が、閉じた視界を過ぎっていく。

二人専用の、二人の体にしっくりとくるソファに深く座って部屋に満ち満ちとある思い出を眺めながら、私は明日の行き先を考えている。

Illustration by fujirooll
Text by SAKO HIRANO (HEAPS)