Sofa Stories Sofa Stories

ソファストーリーズ

ソファはいつも暮らしのまんなかにある。

一人もの思いに耽る時
親密な二人の空間
わっと花の咲く家族の賑わい

ぜんぶ抱きとめるソファは、あつく、寛大で、やさしい。

四季折々、日々折々
名前のつかない一つひとつの日常の
暮らしの些細を覚えている。

陽のにおいも、夜の静けさも、
すいもあまいも染み込んで、
ただ、いつもでもそこに。

それぞれのソファに織りなす物語。

家族だけど“一人ひとり”。大人の3人暮らしを守る、広くて大きなソファ

新居を立てようと思い立った私たちが真っ先に思いを巡らせたのは、ソファだった。

インスタグラムを主戦場に物色するも、たいていのソファが丸みを帯びたシルエットでピンとこない中でふいに現れた、カクカクとした直線美の美しい肉厚のソファ「デシベル」に一目惚れをした。が、金額もそれなりに重厚感があって躊躇し、あらゆる通販サイトをさらに物色する日が続いた。

寝ても覚めても頭の中がソファだらけになる頃、「やっぱりあれが唯一無二なのだ」と捕われたままの心を認め、大切にすることを誓って購入に進むことを決心した。

このソファなら、シンプルでモノトーン好きな私たちが思い描くリビングに絶対にしっくりくるに違いない。

それに、なによりこうも思った。

「この私たち三人が居揃っても、このソファなら大丈夫かもしれない」

私、夫、成人した娘の三人暮らし。私たちは全員、身体が大きい。

我が家の代表選手は夫で、ロシア系アイヌのルーツを持つ彼は巨漢だ。ただ大きいというよりまさに巨漢という字並びがぴったりくる姿形をしている。180センチ、100キロ。縦にも横にもしっかりと存在感を放つ。私と娘は160センチを越え、そろって肩幅がワイドめ。

夫、30センチ。娘、27センチ。二人のビッグサイズの靴探しはなかなか大変だ。

だからこそ、その点でもソファをしっかりと吟味する必要があった。私たち三人を優に抱きとめてくれる、大きいものがいい。と同時に、いやでも大き過ぎたらどうしよう、とも思う。

実物を見に行かれればよかったものの、そのソファブランドのショールームは私たちの住んでいる北海道から遠く、コロナ禍という状況もあって叶わない。

ソファを買うという楽しみにぽつりと筆先で落とした不安の色が拭えないなか、思い切った購入に進めたのは、遠隔だがしっかりとしたサポートがあったこと、そしてそのソファブランドが更新しているユーチューブを見たからだった。

確信を持って「大丈夫」と思えたのは、職人さんたちの仕事ぶりだった。公式のユーチューブチャネルには、いくつかの1分程度の短い動画に仕事中の職人さんたちが映る。分担しそれぞれが請け負った仕事を、一人ひとりが徹底して坦々とこなしていく。少しのズレがいかに全体の仕上がりに影響をするのかを知っている仕事ぶりだった。細部が完璧であるから、壊れにくく直しやすいというものづくりの美学が宿る仕事だ。

長く使われることを前提に、見えない部分の仕事こそ丁寧に仕上げてゆくその姿は、眼鏡屋の店長をしている私が普段から接する眼鏡職人さんのそれと同様に感じ、画面越しのその指先を見ながら「ここのソファにしよう」と決めたのだ。

・・・

届いたソファは、完璧だった。

大きさもそうだが、圧迫感のないそのあつらえには「ね、大丈夫って言ったでしょう」と優しく抱きしめられたような気さえした。

夫はソファを端から果てまで使ってゴロゴロし「こんなにしても、まだ広いよ!」と目をキラキラさせて子どもみたいだ。思えば、幼少の頃の写真でも彼はいつでも誰よりも大きかった。クラスメートはもちろん、三男だったが他の兄弟よりも数回り大きい。義父も義母も私のサイズを遥かに上回る大きな家族なのだが、彼はその中でも格別だった。いつでもどこかしら窮屈だったのかもしれない。成長しきって最大サイズとなった大人の自分よりもはるかに大きな物に、テンションを上げている。

体重の重い私たち三人が座っても沈み込みが浅く、広々とした心地と気持ちのいい硬さを身体いっぱいで感じて、草原にいるような気持ちになった。簡素な椅子などであれば私たちが座れば恐ろしいほどに変形するのだが、全くもって平然としている 。カクカクはやっぱり美しい水平垂直で、その始末の美しさにうっとりした。

娘が小さい頃ぶりに、ソファに三人全員揃って 映画をみた。トム・クルーズの『ミッション・インポッシブル』。新居に引っ越す前、アパート暮らしの頃にも結婚祝いで叔父からもらったソファがあったが、娘が成長して全員が大きくなる頃には一緒にソファにいることはなくなっていた。

足を伸ばしたり寝転がったりと、それぞれが好きな格好でくつろぐ。私はポテトチップスと烏龍茶を用意し、ひざ掛けをかけてウトウトしながら横になる。いつもはアトリエで絵を描く娘が、いつの間にか小さなスケッチブックを持ち込んでなにか描きながらもそこに居た。

三人で寝転んでいながら、なんて居やすいのだろう、と思って気づく。

それは身体のスペースだけでなく、心のちょうどいい具合の距離感も守ってくれるからだ。近づきたいときは近づき、一人で居たければそっと距離をとる。大人三人が いっしょに居ても、パーソナルで居られるだけの広さと寛容さがこのソファにはあるのだ。

“一人”と“一緒”の緩やかな境界線が、近づいたり遠くなったり、じんわり混じったり離れたりする。以前よりも緩やかな会話をたのしめるようになった。

私たち大人の三人暮らしのための守護神みたい、と思う。
なんたって、我が家の巨漢をゆうに包み込んで寝転がしてしまうのだ。このソファは、我が家で一番大きな身体と懐を持っている。

Illustration by fujirooll
Text by SAKO HIRANO (HEAPS)